疫病からの救い – 詩篇91篇 Psalm 91

主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
Surely he shall deliver thee from the snare of the fowler, and from the noisome pestilence. Psalm 91:3

また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
Nor for the pestilence that walketh in darkness; nor for the destruction that wasteth at noonday. Psalm 91:6

災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない
There shall no evil befall thee, neither shall any plague come nigh thy dwelling. Psalm 91:10

ふたりが、心を合わせるなら

マタイによる福音書18:19, Matthew 18:19

また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。

Again I say unto you, That if two of you shall agree on earth as touching any thing that they shall ask, it shall be done for them of my Father which is in heaven.

祈った時に信じる

マルコによる福音書11:22-24, Mark 11:22-24

イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。

よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

And Jesus answering saith unto them, Have faith in God.

For verily I say unto you, That whosoever shall say unto this mountain, Be thou removed, and be thou cast into the sea; and shall not doubt in his heart, but shall believe that those things which he saith shall come to pass; he shall have whatsoever he saith.

Therefore I say unto you, What things soever ye desire, when ye pray, believe that ye receive them, and ye shall have them.

Faith is picturing it done, no matter what I can see with my physical eyes.

信仰とは、実際に目に見えていることは完全に無視し、祈ったことがすでに叶えられていることを心の目で見ること。祈ったときに、すでに叶えられたと信じること。

神は聞き入れてくださる

ヨハネの第一の手紙5:14-15, 1 John 5:14-15

わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。

そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。

And this is the confidence that we have in him, that, if we ask any thing according to his will, he heareth us:

And if we know that he hear us, whatsoever we ask, we know that we have the petitions that we desired of him.

すべての病をいやし

詩篇103:2-3, Psalm 103:2-3

わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるしあなたのすべての病をいやし

Bless the Lord, O my soul, and forget not all his benefits:
Who forgiveth all thine iniquities; who healeth all thy diseases;

  • forgive = to forgive, pardon
  • iniquity = perversity, moral evil
  • heal = cure, repair, make whole, fix
  • disease = a malady, grievous sickness, disease

「そのすべてのめぐみを心にとめよ。」のあとで、そのめぐみがリスティングされる。神が私たちの不義を許してくださることは、クリスチャンであれば誰でも信じられるであろう。そのすぐ後に、「あなたのすべての病をいやし」とある。主によってすべての不義が許されることと、すべての病が癒されることは、どちらも「すべてのめぐみ」に含まれることであって、片方(すべての不義)の「すべて」を文字通り信じ受け入れる場合は、もう片方(すべての病)の「すべて」も同じように文字通り信じて受け入れざるを得ない。

後者の「すべて」に「すべての病」が含まれるわけではない、といったとき、それでは、前者の「すべて」に「すべての不義」が含まれず、許されない不義があるのか、ということになってくる。

詩篇103:6, Psalm 103:6

主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。

The Lord executeth righteousness and judgment for all that are oppressed.

righteousness = rightness, justice, moral virtue, (figuratively) to prosper (spirit, soul, body)

judgment = judgement in our favour

神は私たちに裁きを下すのでなく、私たちのために正義と公正とを行われる。

病人に手をおけば、いやされる

マルコによる福音書16:17-18, Mark 16:17-18

16:17信じる者には、このようなしるしが伴う。・・・16:18病人に手をおけば、いやされる

16:17 And these signs shall follow them that believe; … 16:18 they shall lay hands on the sick, and they shall recover.

ここでの癒しは、「信じる者」の信仰による。

主の御名を呼び求める者は、すべて救われる

ローマ人への手紙10:13, Romans 10:13

なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

For whosoever shall call upon the name of the Lord shall be saved.

英語でwhosoeverと言えば、「誰でも(例外なく)」です。すべて、です。主の御名を呼び求める者は、誰でも、すべて、例外なく、全員、救われるのです。そこには、あなたも含まれています。

何事でもすることができる

ピリピ人への手紙4:13, Philippians 4:13

わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

I can do all things through Christ which strengtheneth me.

神様だったら何でもできる、というのを信じるのは簡単です。でも、自分が今直面している、この「問題」だったらどうでしょう?「何事でも」することができるのであれば、「これ」もできるでしょうか?信じることができますか?

天の父は、私たちの必要をご存知である。

ルカによる福音書12:22-32, Luke 12:22-32

12:22それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。 12:23命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。 12:24からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。 12:25あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 12:26そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。 12:27野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 12:28きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 12:29あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。 12:30これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。 12:31ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。 12:32恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。

Spirit, Soul and Body [Part 1]

人間は、霊、魂と身体で構成されています。英語で言うと、タイトルのようにspirit, soul and bodyです。私たちが霊的に新しく生まれたクリスチャンであるならば、私たちの霊は神とつながっています。

The Bible says that only the Word of God is sharp enough to divide between spirit and soul.

聖書によれば、霊と魂を分けることができる鋭さをもつものは神のみ言葉しかありません。

Hebrews 4:12, へブル人への手紙4:12

For the word of God is quick, and powerful, and sharper than any twoedged sword, piercing even to the dividing asunder of soul and spirit, and of the joints and marrow, and is a discerner of the thoughts and intents of the heart.

というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

心理学者や精神科医は、患者の「霊」の部分を通り越して魂(こころ)、身体のレベルのみで治療を行うため、その治療には限界があります。

神のみ心は、霊、魂と身体がうまく共存することです。この世で暮らす限り、この三つの要素をきれいに分け切ることはできません。

人間は魂と身体の二要素のみで構成されているという考えは間違えです。次の個所を読んでみてください。

1 Thessalonians 5:23, テサロニケ人への第一の手紙5:23

And the very God of peace sanctify you wholly; and I pray God your whole spirit and soul and body be preserved blameless unto the coming of our Lord Jesus Christ.

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

霊と魂を分けることができるものは神のみ言葉しかありません。神のみ言葉がなければ、霊と魂は固まって一つの要素のように見えてしまいます。けれども、考えてみてください。もし、頭に何か悪い考えが浮かんだとします。それは魂(脳)のレベルですが、霊と魂が一緒だとしたら、その悪い考えは霊の内にも存在していることになり、霊が悪い、ということになってしまいます。

すでに霊的な新生を経験した人間の霊が悪いことはありえません。次の個所を読んでみてください。

2 Corinthians 5:17-18, コリント人への第二の手紙5:17-18

Therefore if any man be in Christ, he is a new creature: old things are passed away; behold, all things are become new.
And all things are of God, who hath reconciled us to himself by Jesus Christ, and hath given to us the ministry of reconciliation;

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。

霊的に新しく生まれ変わる前の私たちの霊には罪や死の要素があっただけではなく、私たちは「罪=死」そのものでした。新生の瞬間に、神が私たちの古い霊を完全に取り去り、その代わりに新しい神からの霊をくださったのです。その新しい霊は神の霊とつながっています。神からの霊ですから、悪い要素のひとかけらもありません。

その新生の瞬間に、私たちの身体に何か変化が起きたわけではありません。霊的な新生と同時に身体的に癒されることもありますが、身体は同じ自分の身体のままです。魂のレベルでも、物事の見方など、ある面ではすぐに変わる部分もありますが、瞬間的にすべての面での著しい変化が起きるわけではありません。

神が私たちに今までとは全く別の新しい霊をくださったのに、私たちの魂や身体はまだあまり変わっていないという状態になります。そして、古い自分にはなかった内なる分裂が始まりました。神がくださったパーフェクトな霊と、今までと同じように考え、話し、行動したい魂が共存するようになったからです。

私たちがすべきことは、以下の個所に書いてあります。

Romans 12:2, ローマ人への手紙12:2

And be not conformed to this world: but be ye transformed by the renewing of your mind, that ye may prove what is that good, and acceptable, and perfect, will of God.

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

上の、「心」(mind)とは魂のことを言っています。私たちは、「霊」です。「魂」が私たち自身ではありません。人間とは、根本的には霊的な存在で、「自分=霊」なのです。かつ魂を持っている(所有している)のです。