イザヤ書53:4-6, Isaiah 53:4-6
53:4まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
53:6われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
4 Surely he hath borne our griefs, and carried our sorrows: yet we did esteem him stricken, smitten of God, and afflicted.
5 But he was wounded for our transgressions, he was bruised for our iniquities: the chastisement of our peace was upon him; and with his stripes we are healed.
6 All we like sheep have gone astray; we have turned every one to his own way; and the LORD hath laid on him the iniquity of us all.
上はイザヤ書の引用です。イザヤ書は旧約聖書、すなわち、イエス・キリスト降誕の何百年も前(およそ680~740年)に書かれたものです。さて、下は新約聖書のペテロ第一の手紙2:24の引用です。比べてみてください。
ペテロ第一の手紙2:24, 1 Peter 2:24
2:24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
2:25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。
24 Who his own self bare our sins in his own body on the tree, that we, being dead to sins, should live unto righteousness: by whose stripes ye were healed.
25 For ye were as sheep going astray; but are now returned unto the Shepherd and Bishop of your souls.
両個所とも、引用の前後を読むと、さらにこの2か所のみ言葉の深い関係がわかります。そして、一番大切な個所はここです。
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ53:5)
英語欽定訳だとこうです。”with his stripes we are healed.”
その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(第一ペテロ2:24)
英語欽定訳だとこうです。”by whose stripes ye were healed.”
イザヤではare(現在形)、第一ペテロではwere(過去形)になっています。両方とも原語(ヘブライ語とギリシャ語)を反映しています。イザヤ書と第一ペテロが書かれた時は数百年間離れていますから、この間にこのare(現在、未来の事実を表す)がwere(過去、すでに完了したことを表す)ににかわる出来事があったことが察せられます。
イエス・キリストが十字架にかかったことで私たちが霊的に救われることはクリスチャンなら誰もが承知のことですが、イエス・キリストが鞭で打たれたことで私たちが肉体的が救われる(=すでに癒しが与えられている)ことはご存知でしょうか。