病、死や破壊をもたらすのは神ではない

John 10:10, ヨハネによる福音書10:10

The thief cometh not, but for to steal, and to kill, and to destroy: I am come that they might have life, and that they might have it more abundantly.

盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである

病気、事故、死、離婚、自然災害、貧困、戦争、いじめなどは、「盗人」(悪魔)が仕掛けることです。神が私たちに試練を与え、信仰向上や人格形成に役立てようとしているわけではありません。神が人類に対して怒って裁きを下しているのでもありません。イエスが来たのは私たちに豊かな生命を与えるためです。

James 1:17, ヤコブの手紙1:17

Every good gift and every perfect gift is from above, and cometh down from the Father of lights, with whom is no variableness, neither shadow of turning.

あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。

全て良いものは神から来ます。それが良いものでない場合は、神から来たのではないのです。病、死、貧困、犯罪や戦争を神のせいにするのは間違っています。神は良い神であり、私たち一人ひとりの真の幸福を願っています。

2000年前に地上でイエス・キリストが私たちの罪の代価として鞭うたれ十字架にかかった時点で、神は私たち一人ひとりの未来の祈りまでも叶えてくださったのです。

親であれば、自分の子供に病気や貧困を望むことはまずありません。神は私たちの天の父です。私たちを常に愛してくださり、私たちの至上の幸せを願っておられます。

 

福音のメッセージ

John 3:16, ヨハネによる福音書3:16

For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである

神の祝福~申命記15:6

申命記15:6 Deuteronomy15:6

あなたの神、主が約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国びとに貸すようになり、借りることはないであろう。またあなたは多くの国びとを治めるようになり、彼らがあなたを治めることはないであろう。

For the LORD thy God blesseth thee, as he promised thee: and thou shalt lend unto many nations, but thou shalt not borrow; and thou shalt reign over many nations, but they shall not reign over thee.

神の祝福~申命記28:8

申命記28:8 Deuteronomy28:8

主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだし、あなたの神、主が賜わる地であなたを祝福されるであろう。

The LORD shall command the blessing upon thee in thy storehouses, and in all that thou settest thine hand unto; and he shall bless thee in the land which the LORD thy God giveth thee.

 

全き平安

イザヤ書26:3-4 (Isaiah26:3-4)

26:3あなたは全き平安をもって
こころざしの堅固なものを守られる。
彼はあなたに信頼しているからである。

26:4とこしえに主に信頼せよ、
主なる神はとこしえの岩だからである。

26:3 Thou wilt keep him in perfect peace, whose mind is stayed on thee: because he trusteth in thee.

26:4 Trust ye in the LORD for ever: for in the LORD JEHOVAH is everlasting strength:

不安や恐れを抱いてしまうのは、周りのシチュエーションを見てしまうからです。「こころざしの堅固なもの」、すなわち、なにがなんでも神のみ言葉のみを信じ頼るものには、常に全き平安が与えられるのです。

聖書のみ言葉は決定的な権威である

聖書のみ言葉は決定的な権威です。私たちの経験の物差しでみ言葉を計るのではなく、み言葉の物差しで私たちの経験を計らなくてはなりません。

神のみ言葉は天において永遠に堅く定まっています。私たちは地においても堅く定めなくてはなりません。

詩篇119:89-90

119:89主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり
119:90あなたのまことはよろずよに及びます。
あなたが地を定められたので、地は堅く立っています。

Psalms 119:89-­90

89 For ever, O LORD, thy word is settled in heaven.

90 Thy faithfulness is unto all generations: thou hast established the earth, and it abideth.

み言葉はとこしえ(永遠)に堅く定まり、とあります。決して変わることがないのです。み言葉に今日書いてあることは、100年経っても同じです。

神の気が変わる、ということはありません。私たちが自分の気構えを変えなければならないのです。

マラキ書3:6, Malachi 3:6

主なるわたしは変ることがない。

For I am the Lord, I change not;

へブル人への手紙13:8, Hebrews 13:8

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。

Jesus Christ the same yesterday, and to day, and for ever.

 

イザヤ書53:4-5とペテロ第一の手紙2:24

イザヤ書53:4-6, Isaiah 53:4-6

53:4まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
53:6われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。

4 Surely he hath borne our griefs, and carried our sorrows: yet we did esteem him stricken, smitten of God, and afflicted.

5 But he was wounded for our transgressions, he was bruised for our iniquities: the chastisement of our peace was upon him; and with his stripes we are healed.

6 All we like sheep have gone astray; we have turned every one to his own way; and the LORD hath laid on him the iniquity of us all.

上はイザヤ書の引用です。イザヤ書は旧約聖書、すなわち、イエス・キリスト降誕の何百年も前(およそ680~740年)に書かれたものです。さて、下は新約聖書のペテロ第一の手紙2:24の引用です。比べてみてください。

ペテロ第一の手紙2:24, 1 Peter 2:24

2:24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
2:25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

24 Who his own self bare our sins in his own body on the tree, that we, being dead to sins, should live unto righteousness: by whose stripes ye were healed.

25 For ye were as sheep going astray; but are now returned unto the Shepherd and Bishop of your souls.

両個所とも、引用の前後を読むと、さらにこの2か所のみ言葉の深い関係がわかります。そして、一番大切な個所はここです。

その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ53:5)

英語欽定訳だとこうです。”with his stripes we are healed.”

その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(第一ペテロ2:24)

英語欽定訳だとこうです。”by whose stripes ye were healed.”

イザヤではare(現在形)、第一ペテロではwere(過去形)になっています。両方とも原語(ヘブライ語とギリシャ語)を反映しています。イザヤ書と第一ペテロが書かれた時は数百年間離れていますから、この間にこのare(現在、未来の事実を表す)がwere(過去、すでに完了したことを表す)ににかわる出来事があったことが察せられます。

イエス・キリストが十字架にかかったことで私たちが霊的に救われることはクリスチャンなら誰もが承知のことですが、イエス・キリストが鞭で打たれたことで私たちが肉体的が救われる(=すでに癒しが与えられている)ことはご存知でしょうか。